自分で見つけ出したものを人は信じるのかもしれない
1から10まで説明されることってなんとなくつまんないですよね。1から8,9まで説明してもらって余白が残ってるのはなんだか面白い。
今日は漠然とした話になりそうです。
それでなんでそこに面白さを感じるのかは、説明されるという受動的なことの中に残りの余白を自分で埋めるという主体的なことが入ってるから。かな。
そういうことを考えてると、人の持ってる性質として”自分で見つけ出す喜び”がありそうです。周りに誰も知ってる人はいないが、自分だけは好きな”推し”の人がいるとか、隠れた名店を見つけて足しげく通うとか。
まぁだから誰かに説明するときも、そんなに完璧を求めなくてもいいじゃないかって話です。
今このブログを書いてる僕自身がすごく助かるので、とてもいい考えだと思います。
P.s. 研究者っていうのはこういうマインドを持ってるんですかね?今までの文献を読んでまだ余白がありそうだからそれを自分で埋める、というような。