サモアの日記

日頃思う、自分の"こう思う"を書いていこうかな

教養のある人

僕の中にあるイメージのことだけど、「教養のある人だなぁ」と思う時が二つある。


 一つ目は他言語を喋っている人。

これはおそらくそう思う人も多いんじゃないかな。日本語しか喋れない僕から見たら、母国語以外の言語を喋れるというのは、その人がより広い世界を知っているような気がして、なんだかカッコいい。


 二つ目がボードゲームが上手い人。

特にチェスが上手い人は"教養があるんだなぁ"と感じる。ボードゲーム全般に言えることだけど、特にチェスは論理的な思考が必要だし、どこか数学的でもある。そこが魅力的だな。それに加えて、"遊びが上手い"というのはその人の余裕を感じさせませんか?


そういう理由でこの二つが僕に教養を感じさせるのです。


投資の分散、精神の分散

 投資というのは分散させるというのが基本だそうだ。例えばA社の株を財産のほとんどを使って買う、ということをせず、一部は投資信託に、一部は国債に、一部は外国株に、、、とかそんな感じでいろいろなところにちょっとずつ投資するという感じです。そうすることで、万が一投資先の一部がパアになった、ってときでもリスクは少なくてすむ。これがA社に全額を投資していた場合、A社が倒産でもしたら怖いものがあります。

 こんな感じでリスクというのは分散させることが重要ですが、これ、精神的なことにも言えると思うんです。投資の話になぞらえていうなら、投資先の数はコミュニティの数にあたるといってもいいじゃないんでしょうか。というのも仮に一つのコミュニティ、例えば自分の就職した会社とか通ってる学校とかで問題が起こった、もうそこにはいられない、耐えられないてときに他のコミュニティがあればそっちに逃げられるのではないでしょうか。別に逃げる段階まで行かなくとも、他のコミュニティがあるというのは心の余裕につながっていきそうな気がします。ひとつしかコミュニティがなければ、それにどうしてもしがみつきたくなるのが、人情なのかなと。リスクは少ないほうがいいですよね。

何かをする前の足踏み

嫌なことをやる前って、いろんなことを頭で考えてることが多い。 

例えば、光熱費の支払いとか、何かの書類とか。

そのときに頭で考えてることといえば、”これ取り組むべきことなのか”とか、それをするための段取りを計画してるとか。

でもなにかすぐにパパっと、行動に移すことが一番楽な、体力のいらない方法のような気がする。

まあそれができれば何も問題はないんだけどね。

逆にこの、考えてしまう、ということをどうにかしてなにかに生かせられないのだろうか。

、、、うーん、生かせられないだろうか。

"慣れ"の力

 最近続けてる筋トレが、近頃効果が薄くなった気がする。最初の頃は筋肉痛にもなって嬉しかったけど、最近ないなー。慣れなのかなんなのか、、、。
 そういえば"慣れ"って怖いよな。…例えば、朝なんか排便した後に歯磨きするのが一連の動作なんだけど、夕方排便すると、歯磨きしなくていいのにうっかりしちゃったり。そういうのばっか慣れて、勉強とか、"慣れて欲しいなー"って思うものは慣れないんだよね…

ネガティブに引きずられる職種

 俳優が、そのときの演じてる役に引っ張られて、私生活でもその役が入り込むことがあるらしい。これが明るい、前向きな役柄だったら良いけど、その逆の憂鬱で、暗い、ネガティブな役柄だったら大変そうだよな。
 考えてみれば、俳優だけでなく、画家とかミュージシャンも暗い、ネガティブがテーマのものを創るとき、やっぱり引っ張られるもんなんかな。それを考えると、なにやら大変なことなんだな、なにかを創るって。

複複利

 利子とか金利を取ることを禁止している宗教は複数あるらしい。…たしかに複利になると、最初はそうでもない金利でも、だんだんとそれが大きくなっていくのがわかる。これを考えた人すごいよな。…複利の利率がそれまた複利で上がっていくような"複複利"みたいなものがあったら、もっとすごいだろうな。

アナロジーのできる人

アナロジーを使う人ってのは、なんだか頭がよく見えるんだよね。科学の世界ではよくそういうアナロジー的な見方で…物事を見るってのがよくありそうでさぁ…そういう見方ができる人って普段…どんなことを考えるのか、気になる。